雑記

筆者の感情と言葉の墓場です。耳障りの良い記事は書けません。アイコンは【https://picrew.me/share?cd=QzK0Qy7qrx #Picrew #私好みの女メーカー】様にて作成しました。

表現の自由について

 こんにちは。少々多忙だったり睡眠不足だったりで暫くブログ・Twitter共にお休みをしていたのですが、一週間ぶりくらいにTLを更新した途端、想像以上の量でフォローしている方々の呟きとRTが流れてきて、あまりの情報量に気がめげかけました。それだけ議論しなければいけない内容が多いということですね……

 この一ヶ月、性犯罪の話題の1.5倍くらいの量で表現の自由の話題をお見かけしたので、当ブログ内でも触れていこうと思います。

 先日の献血ポスターに関連する一件で、私はある一人の女性と論議を交わし、私が疲労して折れ、会話を強制終了させてしまいました。私が抗議した内容は「胸の大きい女性に向けたブランドであるover E 様のお洋服を性表現の誇張描写である“乳袋”と呼ぶのはブランド側も否定していることであり、デマに当たるので訂正、もしくは削除してほしい」というものです。
 軽く説明をしますと、over E 様という婦人服ブランドは、胸の大きな女性が胸のサイズによって綺麗なシルエットで服を着ることが出来ないという悩みに真摯に向き合い、そんな悩みを解決できる服作りをしてくださっているブランド様。乳袋というのは俗に言う萌え絵、エロ絵の画法の一つで、着衣状態でも胸の形を露わにして描くことによって(その状態が胸に袋がついているように見える、ということで乳袋)より性的に見せるというものであくまでフィクション、虚構のものです。つまり『現実ではあり得ない』ものです。もちろん、コスプレ等の意図的に縫製した衣服であれば例外ですが。
 公式に否定されていることに加え、ブランドに対して「乳袋ブランド」とラベリングしてしまったら営業に悪影響が出てしまうかもしれないこと、悪意ある人間にブランドが性的に見られ、新たな性加害を産んでしまう危険性等を出来うる限り丁寧に伝えたつもりなのですが、一向に聞き入れてもらえず『ブランドとしては、すでに公式が「乳袋とは違う」と表明していますし、それで守られると考えていますし、悪評でしたら「あそこのブランドの狂信者は対抗意見を削除させて回る」に繋がる可能性もある』と締め括られてしまいました。
 思わず「いやいやいや狂信者はむしろエロ媒体から派生した乳袋をエロくないって言ってるそっちだし、ブランドに否定されてる意見が迷惑だからやめろって言われてるだけでしょうが。どこと対抗してんの辞書読んで」と、そう思いましたが飲み込みました。失礼なことを当人に投げかけるのは流石に不躾なので。ただ吐き出し場所が欲しかったのでここでの無礼はお許しください……

 詳細は下記の引用をご参照ください。


https://twitter.com/seiran00558F/status/1189696972401209344?s=09]


 なぜここまで会話が噛み合わなくなってしまったのか、この会話のあと真剣に考え続けたのですが、やはり日本の【創作作品における性表現の寛容さ】が招いたことではないかな、と思います。日本って、性表現だけやたらグレーゾーンであることを主張したがりますよね。同じグレーでも白に近いグレーと黒に近いグレーでは全く色味が異なるのに一緒くたにされてるなぁと感じます。

 先日の週刊少年ジャンプの「ゆらぎ荘の幽奈さん」という作品にて、ページを光に空かしてみると後ろのページに描かれたタピオカがヒロインである幽奈さんの乳首になる、というギミックがあったそうです。それを真っ先に発見したと思われる方の呟きを見て、私は開いた口が塞がりませんでした。「なんてくだらないんだろう」と。正直暇人の所業かな、とすら思いました。物語重視タイプのオタクなので、そんなことしてキャイキャイするくらいならストーリーを読み込んでほしい、とすら思います。重ね重ね無礼で大変申し訳ない。
 漫画に限らず、ストーリーのある創作作品は物語を見せるものです。とあるブログの筆者様がこのような性表現規制を掻い潜るようなチキンレースをすることを「物語の敗北」と表現していらっしゃったのですが、心から賛同致します。尚、ゆらぎ荘の幽奈さんという作品は物語が敗北しているとは申しておりませんのでご理解ください。

該当ブログ:https://arrow1953.hatenablog.com
 
 何故ならこのような表現をしたときに読者が一番に受け取るものは物語ではなく、性的に描かれた女体であるからです。物語主体であるものが作画主体に変わってしまったら、文字通り物語の敗北といって差し支えないでしょう。作画以上に読者を魅せる物語がないんですから。
 が、このような表現が悪いとは申しません。漫画やアニメに置いて作画の重要度は高いですから。迫力のあるシーンで迫力のある絵が出てくれば、切ないシーンで心に訴えかけるような描写があれば。絵の力により魅力のある漫画になることはきっとこのような創作作品を嗜む人間であれば誰しもが理解していることでしょう。それは性的なものでも同じです。性的なシーンにおけるそのような描写が大事にされるのは当然のことです。
 そして此度のゆらぎ荘の幽奈さんに関して。まず拝読したことがないので、私は作品の”内容”について言及する資格は持ち合わせおりません。あのジャンプで連載を続け、アニメ化もしているとのことですから、かなり人気があり一般的に面白いとされる漫画なのだと思います(ただ作者であるミウラタダヒロ先生が作画を担当していた「恋染紅葉」は連載当時拝読しておりました。恐ろしく絵が綺麗な人、ベタの使い方が巧い人だなぁということが印象に残っております。絵柄、とても好きです。特に目と髪の描き方が)

 ですがジャンプの編集部には物申したい。それ、本当に「全年齢対象の作品ですか?」と。その性表現はレイティングし、ゾーニングすべきではないですか、と。手っ取り早くいえば少年漫画ではなく青年漫画のカテゴリにいれたほうが良いのでは、と。
 週刊”少年”ジャンプと銘打っている以上、読者層に少年(勿論少女もですが)がいることはわかりきったことです。購買層の高齢化が進んでいるであろうことは察しますが、それでも児童が購入し、読むことが出来る雑誌であることには変わりません。全年齢対象なんですから。たまにキャッチコピーで「ちょっとHなラブコメディ」なんてのがありますけど、実は「ちょっと」どころではないのでは? そういうシーンを「ちょっと」なんて言葉で矮小化してみせようという気持ち、ありませんか? ないのかもしれませんけれど。

 スカートめくりも、ラッキースケベもお風呂を覗くことも創作においてギャグ的な立ち位置にいますが、現実はギャグになりません。れっきとした性加害です。一昔前の漫画でどのジャンルでも見られたスカートめくりも、今ではめっきり減ったと思いませんか? 10年くらい前は少女漫画でもそれなりにあったんですよ。男の子がヒロインのスカートめくってコメントする描写。でも今ってそんなに見ませんよね。何故かわかるでしょうか? 現実でそれをやったら女の子が嫌がるからです。怖がるからです。「キャッ! ちょっと何すんのよ!」なんて顔を赤くして頬をビンタするような女の子、現実には滅多にいません。いないと断言はしませんが、かなりの少数派です。かなり好意的に見てもドン引きくらいが一般的な反応だと思います。冗談で軽く済むような問題ではないです。

 私はオタクなので創作の力は強いと信じています。励ましてくれたり、感動をくれたり、沢山のプラスの感情をくれるものだと思っています。何か辛いことがあったときに、心の支えになってくれるものだと考えています。ですが、同時にその影響力の強さは歪んだ認知を簡単に作れるということも知っています。特に男女の表現は、創作作品によって何度もステレオタイプの再生産をしています。ヒーローやリーダー役は男の子でお姫様や守られる側は女の子。青色は冷静なキャラクターで赤は熱血、女の子の下着はエッチなもの……等々、自分でも無意識のうちに様々な固定観念を創作作品から学んでいると思います。高校生活はドラマや漫画みたいな青春の日々を送れる! なんて夢見たことがある人はきっとそれなりの数でいらっしゃるのではないでしょうか?

 ※一応注釈をつけますが、女の子の下着はただの生活必需品で男の子の下着の役割と何ら変わりないので別に性的なものではありません。そもそも下着が性的なものではないので。
 
 それに人間は好奇心というものがあるので、善悪がどうであれ「自分が見たものを実際にやってみたい! フィクションと同じことをしたい! みたい!」 と思うこともおかしくはありません。当たり前の反応ですね。私もあります。
 一例を上げると「ジブリ飯」というものがあります。スタジオジブリが制作した作品の中のご飯を再現して作る、そして食べる。作ったご飯をジブリ飯、と呼んでいるわけですが、行為的には最後の食べるところまでを含めた言葉です。好きな作品に出てくるご飯を食べる! 良いですよね。素敵だと思います。
 もう一例上げると、忌むべき性犯罪も創作に影響されたものが多々あります。AVと同じことをしてみたい・抵抗してたのが大人しくなったから同意だと思った・嫌がってても最後には気持ちよくなれる……などなど。創作によって喚起される好奇心が良い方向に働くとは限らないことがこれでよくわかると思います。
 優れた創作作品や、多数の創作内で共有される描写は、現実に干渉しうるのです。

 誤解しないでほしいのですが「創作は犯罪者を作り出す」ということを言いたいのではありません。

【善悪の基準が判断できないこどもにいじめを肯定するような作品は読ませないほうがいいよね。いじめをしていいって思っちゃうかもしれない。差別を助長するような表現はそれが差別だってわからない人が読んだら無意識に新しい差別者を生んでしまうかもしれないね。じゃあレイティングやゾーニングをしっかりやろう。そうすれば誰も傷つかないね】

 といったことを伝えたいのです。同時に社会のあり方を見つめ直すことも大事ですし、性教育も進めていかないといけません。日本の性教育はとにかく性的なものを臭いものに蓋をするようにしか学ばせないので、お世辞にも進んでいるとは言えません。
 創作に込められたメッセージを読み解く読解力がないと、創作を本当の意味で楽しめないですし、創作者は現実の社会情勢や社会通念、心の機微を理解していないとリアリティのあるものを作り出せません。創作は非現実を味わうのが楽しみの一つですが、その非現実が現実を犯す危険性があることを理解しなければなりません。
 
 殺人や犯罪を描く創作がなぜ全年齢対象になり得るか、そして宇崎ちゃんやゆらぎ荘のような批判を受けないか。それは『殺人や犯罪が悪だと社会全体で理解』していて、どんなに世界観に没入出来る作品でも読後・視聴後に『フィクションである』と現実と虚構の区別がきっちりつくからです。今流行りのデスゲームものなんかもそうですね。してはいけないことと社会が断じていて、作者も読者もそれを理解しているからこそエンターテイメントとして楽しめるのであって、もし現実にデスゲームが頻繁に起こっている世界だったのであれば厳重に規制されていると思います。不謹慎とバッシングを喰らわずに1つのジャンルとして確立したのは、それを絶対に許さない、コンテンツ化しない社会が存在しているからです。そして、作中においてもデスゲームの主催者は悪として裁かれる様子が描かれたり、最後反省して改心するような描写があるために「あぁいい作品だった」で終わることができます。
 
 ※これも一応注釈をつけますが、過度に暴力描写があるものなど全年齢対象にならない作品もあります。どんなものでも例外があることは皆さんご存知だと思いますが、重箱の隅をつつかれないための補足です。

 ですが、性加害はそうはなりません。社会が悪だと断言してくれないからです。この一年で何回性犯罪者が不起訴処分になったでしょうか。被害者の声がなかったことにされ「被害を受けるのは魅力的な証拠」なんて的はずれなフォローや「自衛が足りてない/誘うようなことをしたのが悪い」なんて被害者を責めるような言葉でセカンドレイプする人間がどれほどいたでしょうか。「性的欲求は理性で抑えられないもの」なんて詭弁が何度まかり通ったことでしょうか。
 そんな社会で性加害と取られる描写を描けばどうなるかは既に様々な性犯罪が立証してくれています。大人がどんな行為が性加害に値し、性加害がどれだけ悪いことかを理解していないんですから、子どもはもっと理解できません。大人が理解出来ていないことを子どもが理解出来るはずがないのです。学校で教わる性教育が性行為や人体の仕組み程度である限り、もしかしたら「同意なく異性の身体に触れるのは失礼なこと」だと教えてくれる大人すらいないかもしれません。

 そんな状態でラッキースケベやらお風呂の覗きやらを「冗談」や「女の子には怒られるけどこれは男のロマン」なんてメッセージを込めた創作を見たら、そのまま素直にそう受け取ってしまいますよ。純粋な幼い子どもであればあるほど「そうなんだ!」で何の疑問もなく受け入れてしまうと思います。そうすることで女の子と仲良くなれる、と思ってしまう子もいるかもしれません。私は女ですが、性被害に合う前まではそういった描写を当たり前の冗談だと思っていました。とんでもないことですが「男の子ってしょうがないなぁ」くらいしか思わなかった時期があります。自体を矮小化している描写を見て、矮小化された状態がリアルな反応だと【誤解】してしまったのです。大事なことなので再度言いますが、私は誤解をしました。男の子にしかわからない楽しいことを女の子がわからないのは当然、呆れて見るくらいが自然な反応だと思っていました。周りの子もその程度の認識でいたと思います。それくらい、そういう反応をするのが「社会的に普通」という、冷静に考えてみれば、被害者側に立ってみればありえないことが、呼吸をするような自然さで浸透していましたし、おそらく今も進行形で浸透していると思います。

 このような性表現に寛容な創作、及びそれを生み出した社会が冒頭の乳袋を性的なものだと理解できない女性(男性)を育んでしまうのであろうと思います。社会が生んだ、本人は無自覚の加害者であり、被害者です。
 男性は無意識に女性を傷つけてしまい、そのせいで女性に嫌われるという被害があると思います。しかもそれは社会通念が生んだものであるがゆえに、自分の加害性に気付けずに同じことを何度も繰り返すことになり、嫌われる一方…… 本人の過失なのでフォローはしませんが、社会が違えば変わるんだろうな、と思うとなんとも言えない気持ちになります。
 女性はいつまでも女体を消費され続け、嫌でもそれを許容しなければいけません。被害者で居続けることを強要されていると言っても過言ではないのです。
 
 人間ですから、生まれ育った社会に価値観を左右されるのは当然のことです。ですが、もしその価値観に差別意識や加害性が内包されていることに気が付いたのであれば、それを正せるのも人間しかいません。

 フェミニストの方々が「ゾーニングを」と仰るのは性教育が十分になされていない未成年にこのような価値観を植え付けないためです。未来の加害者、被害者を生まないためです。それは子どもを守るための教育の一部でもあります。同時に、ゾーニングやレイティングをして対象者を絞ることで、自由な創作活動を守ることにもなります。法で規制される前にきちんと自治をしていれば、表現の自由は守られるのですから。ゾーニングは作品を規制しろ、削除しろと言う考えではありません。然るべき場所で然るべき人間が、自分も他人も不愉快な思いをしないように楽しむための配慮です。

 自由な表現が社会に害を及ぼすと司法が判断しないためにも、ゾーニングは大事だと思います。批判は否定ではありません。大事だからこそ、守りたいからこそ批判をしている場合だってあります。

 少年誌で性表現規制チキンレースをすること・献血ルームに性的誇張された女体が描かれたポスターが貼られること・町中にアダルトゲームの広告が貼られること。それらをそのままにすることが本当に「表現の自由を守ること」に繋がるか。私の考えが正しいとは思いませんし申しませんので、色んな方の考えを見て、聞いて、今一度考えて見て頂けたら幸いです。