雑記

筆者の感情と言葉の墓場です。耳障りの良い記事は書けません。アイコンは【https://picrew.me/share?cd=QzK0Qy7qrx #Picrew #私好みの女メーカー】様にて作成しました。

私の#MeToo

 初めまして。青藍と申します。

 これから下記に綴っていくのは、昨年私の身に起こった性被害に分類されるであろう出来事(~であろう、といった文体なのは未だに己の被害妄想の可能性を疑っているからです)と、それを経て考えた極めて私的な意見です。拙い文章かつ読んでいて楽しい内容ではないこと・その手の知識に明るくなく、不勉強であるために、感情論のようになってしまうであろうということ・筆者個人の考え以上の意味を持たないことを把握した上で、もし気が向いた方がいらっしゃいましたらお時間を頂ければ幸いです。


 まず、私は20代学生で標準体重の不細工です。実際の他人からの評価がどうであれ、いろいろな体験知見から己のことを小太りの老け顔ブスであると自認しています。少なくとも老け顔であることは高校生だった頃、登校時の電車の中で「え、あの人高校生? おばさんじゃん」とヒソヒソ声のつもりで揶揄してきた、おそらく年下の男子高校生が証人です。(バッチリ聞こえてましたからね、発言には気をつけたほうがいいですよ見知らぬ男子高校生……今は大学生かな……社会人かな……)(ですが高校生の頃は化粧もしていないすっぴんブスだったので確かに可愛らしさ若々しさはなかっただろうなぁとは自分でも思います)
 当記事はそれを大前提として話を進めていこうと思います。


 事が起こったのは昨年の丁度今頃です。肌寒い秋の夜で、アルバイトの帰り……確か22時半頃。白のヒートテックに黒ドットのパーカー、黒のズボン。防寒のためのニットカーディガンというオシャレを一切考えていない適当なファッションで、某大手コンビニエンスストアの鳥五目おにぎりを食べながらの帰路でのことです(お行儀が悪くてすみません)
 不意に横切った男性に『すみません』と声をかけられました。外を出歩くと2~3ヶ月に1度くらいのペースで老若男女問わず道を尋ねられたり、何処のどちら様かわからない見知らぬおじいさん(おじさん?)の話し相手に請われたりすることがあるので、今回もそのケースだろうと思い振り返りました。
 ちなみに見知らぬおじいさんたちは「自分の若い頃は~」「今はこうなんでしょう?」「これは〇〇だからお姉さんも気をつけないとね」「お仕事帰り? どこで働いてるの?」「お姉さん愛想がいいね!」などといった話をなさってくれます。くれます、という表記は皮肉です。全く嬉しくもありがたくもないので……
 この手のおじいさんと遭遇したら、延々相槌を入れ、話を合わせ、相手の気分が満足したあたりを見計らって「そろそろ帰らないといけないので~」と場から逃げます。三十分くらいずっと話を聞くことになる場合もあります。なんなら同じ人に話しかけられすぎて「見知らぬおじいさん」から「顔を覚えてしまったどこぞのおじいさん」にランクアップした人もいます。会話が始まる前に立ち去ればよいのですが、話しかけられると対応しなくては! と身構えてしまってタイミングを逃してしまうのです。そもそも、男女や年齢問わず、基本話しかけられたら応えます。何か困っているのかもしれませんし。困ったときはお互い様、助け合いの精神って大事ですよね。ただ善人でいようという下心や、相手が男性だとそれに追加して下手に機嫌を損ねてしまったら何をされてしまうかわからない、という単純な恐怖があることも否定はしません。

 話が逸れてしまいました。元に戻します。

 振り向いた先にいたのは恰幅の良い、私より少し背の高い30代~40代くらいの、何処にでもいそうな普通の男性でした。失礼を承知で申し上げるのですが、少し髪が薄い印象を受けた記憶があります。顔の造作や表情までは、夜の暗い道端にいたのでわかりませんでした。スーツを着用し、ビジネスバッグを片手に持っていたのでまず間違いなくサラリーマンだと思います。この時はまだ見知らぬ他人に向ける以上の警戒心はありませんでした。が、目があったときにかけられた言葉は『遊べる?』でした。遊べる。あそべるとは。
 一瞬思考が停止して、身体ごと硬直したあと現在地がどうなっているのか思い出した私は恐怖で顔が引きつりました。すぐ傍にラブホテルがあったのです。1分もあれば駐車場に辿り着けるくらい近くに。そこから簡単に考えつく最悪の結果に、私は内心必死になりながら「あ、遊べないです! すみません!」と謝って、刺激しないように笑顔のままゆっくり踵を返して、徐々に早歩きになってその場から逃げました。断る、というより謝罪の気持ちが強かったです。何に謝っているのかわからないけれど、とにかく「ごめんなさい」という気持ち。男性から距離を取ろうと足を進めるごとに自分が今何にあったのかを認識していって、どんどん呼吸がしづらくなりました。世間ではこういうのを「パパ活」とか「援助交際」とか言うのだと思います。前者は性行為なし、後者はあり、だとか話を聞きますが、近くにホテルがある以上後者に誘われたんだと思います。まぁどちらでも恐怖であることに変わりはないのですが……

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雑な地図です。このような位置関係でした。星印の位置が私が声をかけられた位置になります。

 男性が見えなくなった頃、とにかく信頼している誰かの存在を感じたくて、誰かと話していればもし追われていたとしても離れてくれるだろうと考えて、友人に助けを求めて通話をしました。過呼吸かつパニックに陥りながら「今、知らない人に話しかけられて……」と状況説明したことを覚えています。友人に話しているうちに「私が話しかけやすそうにしてたのかもしれない」だとか「狙いやすくしていたのが悪い」だとか、怖がっているはずなのに相手が悪い、ではなく自分に何か責があるように感じてきて、己の不甲斐なさまでのしかかってきて余計に辛さが増しました。その友人は全力で私を気遣い、男性が悪いと私の考えを否定してくれたのですが、優しい言葉をかけてくれればくれるほど何故か自責の念が強まるのが今でも不思議です。結局私が帰宅するまで通話に付き合ってくれた友人に、ありがたさと申し訳無さでいっぱいです。優しい友人を持てた私は幸せ者だと思います。ありがとう友人。

 ですが、お化粧を落とすために洗面台に立って鏡に写った自分を見たとき、限界になって堰をきったように涙がどんどん出てきました。自室に入ってようやく強張ったままの身体から力が抜けました。

 翌日は家族でさえも男性というだけで恐怖の対象になっていて、何の罪もない父親と祖父をひたすら避けてしまいました。気がつけばスーツの男性に恐怖を抱くようになっていました。更に追い打ちをかけてきたのが、新しく配属されたアルバイト先の社員さんが、かなりあのサラリーマンに近い背格好だったことです。記事を書いている現在は八割方恐怖を克服しているので大丈夫なのですが、当時は忘れようと努めているのに、シルエットが近いもの、同じような衣服がどうしても目についてしまい、あの瞬間がフラッシュバックして呼吸がうまくできなくなるということが多々あったので、社員さんに非はないため本当に申し訳なかったのですが、会うのが辛かったです。

 また、この体験の前にも似たような経験として、アルバイト帰りの夜道で男性に道を聞かれ答えたら「お礼にジュースを買ってあげるよ」と提案され、断っても「シュークリームをあげる」などと尚誘われる、ということがあります(勿論断りました。全力で逃げました)そのときは怖かったものの、その後の友人との近況話で「こういうことがあって~~、でも私シュークリームで買収されるほど安くないから!」と強がれるくらいの余裕は保てたのですが、このサラリーマン相手のときはそれとは比較にならないくらい恐怖が襲ってきて、本当に身体の震えが収まりませんでした。理由は【生まれて初めて私という個人に向けて剥き出しの性欲を向けられた(かもしれない)】からだと思います。
 シュークリームおじさん(と勝手にいま命名しました)は、親戚の仲の良いおじさんが「〇〇ちゃんお菓子あげようか」なニュアンスで、あまり性的な意志を感じさせなかった(かなりオブラートに包まれていた)のに対し、サラリーマンの男性は本当に直接的に性的欲求をこちらにぶつけてきた。そんな印象です。

 もともと性的な話題が苦手だったり、ネットに自由に触れる機会が人より遅かったため(私は高校生のときにスマートフォンを買い与えてもらったことでようやく授業以外でのネット使用の機会を得ました。ネットに触れると意識せずにR指定な知識がついていくの恐ろしいですね)単純に私自身の性教育が遅れていたり、見目が良くないため誰かと恋愛関係になることも、誰かからそういう対象に見られることもないと勝手に思っていたりした私にとって、サラリーマンの男性の一言はいきなり住む世界が変わってしまったのかのような衝撃でした。私はいわゆるオタクなので、フィクションの中の恋愛はたくさん見てきましたが、創作の中で好きなキャラクターが別のキャラクターに向けているような恋愛感情、あるいは劣情を誰かから自分に向けられることはないと思っていたのです。友人からの恋愛相談や惚気も他人事のように感じていました。
 正直今でも「実はただの自意識過剰なんじゃないか?」と思います。だって私は不細工だから。性的な魅力はないと思っていたから。狙われるほどの魅力があるわけ無いから。
 でも性行為をしたかったのかそうでないのかは判別がつかないものの、確実に「女」に見られていたのは確かです。だって男性に向けて夜に「遊べる?」なんて話しかける男性、多分そんなにはいないと思います。
 男女関係なく、犯罪者は自分より弱い存在を選んで加害します。ただ、どうしても身体的な理由により被害者は女性や子供に偏ることを、世に生きる女性及び未成年の皆様は肝に銘じたほうがいいです。尚私は銘じていませんでした。

 ここまで書いてきておわかりだと思うのですが、私は「声をかけられた」だけです。数秒でも手が触れたりするようなことはありませんでした。ですが「声をかけられた」それだけでも一生モノのトラウマです。勿論、実際に犯罪者の手にかかってしまった方も世の中にはいて、その人たちの苦痛の半分もきっと私は知りません。でも、それでも辛いものは辛く、苦しいものは苦しいのです。悲劇のヒロインのようなことは自分に酔っているようであまり言いたくはないのですが、事実として私は被害のあと実生活に支障をきたすくらい苦しみました。
 「なんだ、なにもされてないじゃないか」その通りです。身体的には何もされていません。そういう意味で私は無事です。ですが、これだけのことでも精神に深くダメージを与えられるということを、知って頂きたいのです。鬱病で知られるとおり、心の病も体を侵す病と同じくらいに深刻なものです。
 軽い気持ちで性的なジョークを言う方、世の中に沢山いらっしゃると思います。それが実はスキンシップやコミュニケーションではなく、ただ会話相手を酷く貶め、傷つけている可能性を、一度考えてみて頂ければなと思います。性的な発言は、簡単に誰かの尊厳を踏みにじれるのです。(なんだか上から目線な文章になってしまっていて申し訳ないのですがこれ以外の書き方が思い浮かびませんでした……)

 被害に遭ったあと、私はTwitterフェミニズムに出会いました。私と同じく、傷ついた女性が沢山いて、傷ついた女性を増やさないために身を粉にして世間に言葉を投げかけていました。勿論、今も彼女たちは懸命に世の中に女性の権利を訴えてくださっています。
 今までフェミニズムというのはなんとなく紳士が女性に向ける気遣いや優しさ、のようなものに勘違いしていたのですが、違いました。ただ女性は一人の人間であり、男性と同じだけの権利を持っていること、不当に脅かされてはいけないという、本来ならば当たり前のことを「当たり前になっていない」と気付いて、世の中に伝えてくれる。私にはフェミニズムがそんな存在に見えました。もともとある権利(男性の権利や表現の自由など)を脅かすのではなく、現代社会に置いて女性が被っている理不尽(#KuTooなどがそれに当たると思います)を正し、社会に置いて軽く扱われている性犯罪の深刻さを訴えていくのがフェミニストなのではないでしょうか。冒頭で言いましたが、私はフェミニズムに関して何か勉強したわけではないので、本当に見て知った印象での話しか話すことができないのが心苦しいのですが、私はフェミニストは女性の味方だと感じました。そして女性だけでなく、社会通念に苦しんでいる人の味方だと。
 例えば「女性は家事が得意」「男なんだから泣くな」「女の友情は陰湿」「男性には頼りがいがないといけない」といった考えは全て偏見で、正すことが出来ます。女性だって家事が苦手な人は居るし、男性だって泣きたいときは泣いていいし、友情に男女差はないし、頼りがいのあるなしは個々人の問題です。性別によって〇〇じゃないといけない、とされるものは全て「そんなことない」と言えるのです。「え~またまたぁ」などと茶化されることもありますが、実際そうなのです。そんな問題を解決していくのがフェミニズムではないかと思いました。

 ※ただ、フェミニズムは『女性』の性差別を問題視する運動です。たまに「男だとこれがしんどいんだよ~」とフェミニストの方にぼやく方がいらっしゃいますが、そちらは「マスキュリズム」という男性差別を考える運動があるそうですよ。男性のしんどいはマスキュリストの方に相談するほうがより解決に近づけると思います。男性も女性も生きやすい世の中にしたいですね。

 そして己の意識の低さにより見えていなかった、数々の女性の人権問題を彼女たちのおかげで知ることができました。考えてみればおかしいと気付けるはずのことも、社会がそれを普通だと看做していれば普通になるということを知りました。そして多すぎるほどの性被害を知りました。無知は罪、といいますが、その通りだと思います。知らなかったでは済まされないくらいの人間が、今まで傷ついてきたことを私は気にも止めていなかったのです。己を恥ずかしく思います。

 フェミニズムに触れた今でこそ思うのですが、あのときの私はサラリーマンの男性にあんなダサファッションでも女というだけ性的に見られて、提案を持ちかけて応じるかもしれないと安く見積もられて、とにかく人間としてではなく性欲解消の道具として見下されていたのではないかと思います。
 日本に居る全ての女性が、一部の倫理観のない男性にそんなふうに見られているのでは、と考えてしまいます。美醜関係ないです。私が狙われたので……という私的な意見よりは「ブスの方が『こんなブス誰が狙うかよ』と言い逃げできる」といったような発言をしたらしい痴漢犯罪者がいる、という情報のほうが信憑性があると思うのでこの言葉をどうか頭の片隅においておいてほしいです。どんな外見、年齢でも女性であればこの手の危険はつきまとうのです。美しくても醜くても、若くても老いていても、女性であれば危険な目に会う可能性はあります。自分は関係ないと、どうか思わないでください。私はそう思っていたせいで、必要以上に傷つくことになりました。自分とは無関係であると思えば思うほど、いざ経験したときの自責の念は強まるのではないかと、私は考えています。防犯意識が高くて困ることはありません。女性の油断を性犯罪者は待っていますし、喜びます。(男性も被害に合う可能性はあるので「俺(僕)は男だから大丈夫」と慢心するのは大変危険だと思います)

 この手の思考に囚われた人間は性欲や支配欲、加害欲を満たすことができる、抵抗しないであろう存在としかこちらを見ていないのだと思います。暴論ですが、信頼関係を築いていない異性に性行為を求める、もしくはそれに付随する感情を向けるのは「相手を都合のいいスケープゴート」にしか見ていない証拠ではないでしょうか。あるいは欲求不満を解消してくれる道具かもしれません。とにかく一人の人間として、人権がある尊重されるべき存在としてみていないのは確かです。

 女性は一人の人間です。性の象徴でもなければ、コンテンツでもなく、毎日を彩ったり生活を楽にしたりする道具でもありません。ただ懸命に日々を生きている人間です。男性はそれをどうか忘れないでください。忘れた男性を見かけたら、どうか「女性も人間だぞ」と怒ってあげてください。女性側も性犯罪や女性蔑視を許さない姿勢を保ち、自衛をしていきますがそれでは己を守りきれない「悪意」があります。それを男女ともに許さない世界になるといいなと思います。全ての良識ある男女が健康的で文化的な、当たり前の生活を送れるようになることを心から願っています。

 拙く、読みづらい文で長々と失礼いたしました。ここまで読んでくださった方々に、深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。