雑記

筆者の感情と言葉の墓場です。耳障りの良い記事は書けません。アイコンは【https://picrew.me/share?cd=QzK0Qy7qrx #Picrew #私好みの女メーカー】様にて作成しました。

表現の自由について

 こんにちは。少々多忙だったり睡眠不足だったりで暫くブログ・Twitter共にお休みをしていたのですが、一週間ぶりくらいにTLを更新した途端、想像以上の量でフォローしている方々の呟きとRTが流れてきて、あまりの情報量に気がめげかけました。それだけ議論しなければいけない内容が多いということですね……

 この一ヶ月、性犯罪の話題の1.5倍くらいの量で表現の自由の話題をお見かけしたので、当ブログ内でも触れていこうと思います。

 先日の献血ポスターに関連する一件で、私はある一人の女性と論議を交わし、私が疲労して折れ、会話を強制終了させてしまいました。私が抗議した内容は「胸の大きい女性に向けたブランドであるover E 様のお洋服を性表現の誇張描写である“乳袋”と呼ぶのはブランド側も否定していることであり、デマに当たるので訂正、もしくは削除してほしい」というものです。
 軽く説明をしますと、over E 様という婦人服ブランドは、胸の大きな女性が胸のサイズによって綺麗なシルエットで服を着ることが出来ないという悩みに真摯に向き合い、そんな悩みを解決できる服作りをしてくださっているブランド様。乳袋というのは俗に言う萌え絵、エロ絵の画法の一つで、着衣状態でも胸の形を露わにして描くことによって(その状態が胸に袋がついているように見える、ということで乳袋)より性的に見せるというものであくまでフィクション、虚構のものです。つまり『現実ではあり得ない』ものです。もちろん、コスプレ等の意図的に縫製した衣服であれば例外ですが。
 公式に否定されていることに加え、ブランドに対して「乳袋ブランド」とラベリングしてしまったら営業に悪影響が出てしまうかもしれないこと、悪意ある人間にブランドが性的に見られ、新たな性加害を産んでしまう危険性等を出来うる限り丁寧に伝えたつもりなのですが、一向に聞き入れてもらえず『ブランドとしては、すでに公式が「乳袋とは違う」と表明していますし、それで守られると考えていますし、悪評でしたら「あそこのブランドの狂信者は対抗意見を削除させて回る」に繋がる可能性もある』と締め括られてしまいました。
 思わず「いやいやいや狂信者はむしろエロ媒体から派生した乳袋をエロくないって言ってるそっちだし、ブランドに否定されてる意見が迷惑だからやめろって言われてるだけでしょうが。どこと対抗してんの辞書読んで」と、そう思いましたが飲み込みました。失礼なことを当人に投げかけるのは流石に不躾なので。ただ吐き出し場所が欲しかったのでここでの無礼はお許しください……

 詳細は下記の引用をご参照ください。


https://twitter.com/seiran00558F/status/1189696972401209344?s=09]


 なぜここまで会話が噛み合わなくなってしまったのか、この会話のあと真剣に考え続けたのですが、やはり日本の【創作作品における性表現の寛容さ】が招いたことではないかな、と思います。日本って、性表現だけやたらグレーゾーンであることを主張したがりますよね。同じグレーでも白に近いグレーと黒に近いグレーでは全く色味が異なるのに一緒くたにされてるなぁと感じます。

 先日の週刊少年ジャンプの「ゆらぎ荘の幽奈さん」という作品にて、ページを光に空かしてみると後ろのページに描かれたタピオカがヒロインである幽奈さんの乳首になる、というギミックがあったそうです。それを真っ先に発見したと思われる方の呟きを見て、私は開いた口が塞がりませんでした。「なんてくだらないんだろう」と。正直暇人の所業かな、とすら思いました。物語重視タイプのオタクなので、そんなことしてキャイキャイするくらいならストーリーを読み込んでほしい、とすら思います。重ね重ね無礼で大変申し訳ない。
 漫画に限らず、ストーリーのある創作作品は物語を見せるものです。とあるブログの筆者様がこのような性表現規制を掻い潜るようなチキンレースをすることを「物語の敗北」と表現していらっしゃったのですが、心から賛同致します。尚、ゆらぎ荘の幽奈さんという作品は物語が敗北しているとは申しておりませんのでご理解ください。

該当ブログ:https://arrow1953.hatenablog.com
 
 何故ならこのような表現をしたときに読者が一番に受け取るものは物語ではなく、性的に描かれた女体であるからです。物語主体であるものが作画主体に変わってしまったら、文字通り物語の敗北といって差し支えないでしょう。作画以上に読者を魅せる物語がないんですから。
 が、このような表現が悪いとは申しません。漫画やアニメに置いて作画の重要度は高いですから。迫力のあるシーンで迫力のある絵が出てくれば、切ないシーンで心に訴えかけるような描写があれば。絵の力により魅力のある漫画になることはきっとこのような創作作品を嗜む人間であれば誰しもが理解していることでしょう。それは性的なものでも同じです。性的なシーンにおけるそのような描写が大事にされるのは当然のことです。
 そして此度のゆらぎ荘の幽奈さんに関して。まず拝読したことがないので、私は作品の”内容”について言及する資格は持ち合わせおりません。あのジャンプで連載を続け、アニメ化もしているとのことですから、かなり人気があり一般的に面白いとされる漫画なのだと思います(ただ作者であるミウラタダヒロ先生が作画を担当していた「恋染紅葉」は連載当時拝読しておりました。恐ろしく絵が綺麗な人、ベタの使い方が巧い人だなぁということが印象に残っております。絵柄、とても好きです。特に目と髪の描き方が)

 ですがジャンプの編集部には物申したい。それ、本当に「全年齢対象の作品ですか?」と。その性表現はレイティングし、ゾーニングすべきではないですか、と。手っ取り早くいえば少年漫画ではなく青年漫画のカテゴリにいれたほうが良いのでは、と。
 週刊”少年”ジャンプと銘打っている以上、読者層に少年(勿論少女もですが)がいることはわかりきったことです。購買層の高齢化が進んでいるであろうことは察しますが、それでも児童が購入し、読むことが出来る雑誌であることには変わりません。全年齢対象なんですから。たまにキャッチコピーで「ちょっとHなラブコメディ」なんてのがありますけど、実は「ちょっと」どころではないのでは? そういうシーンを「ちょっと」なんて言葉で矮小化してみせようという気持ち、ありませんか? ないのかもしれませんけれど。

 スカートめくりも、ラッキースケベもお風呂を覗くことも創作においてギャグ的な立ち位置にいますが、現実はギャグになりません。れっきとした性加害です。一昔前の漫画でどのジャンルでも見られたスカートめくりも、今ではめっきり減ったと思いませんか? 10年くらい前は少女漫画でもそれなりにあったんですよ。男の子がヒロインのスカートめくってコメントする描写。でも今ってそんなに見ませんよね。何故かわかるでしょうか? 現実でそれをやったら女の子が嫌がるからです。怖がるからです。「キャッ! ちょっと何すんのよ!」なんて顔を赤くして頬をビンタするような女の子、現実には滅多にいません。いないと断言はしませんが、かなりの少数派です。かなり好意的に見てもドン引きくらいが一般的な反応だと思います。冗談で軽く済むような問題ではないです。

 私はオタクなので創作の力は強いと信じています。励ましてくれたり、感動をくれたり、沢山のプラスの感情をくれるものだと思っています。何か辛いことがあったときに、心の支えになってくれるものだと考えています。ですが、同時にその影響力の強さは歪んだ認知を簡単に作れるということも知っています。特に男女の表現は、創作作品によって何度もステレオタイプの再生産をしています。ヒーローやリーダー役は男の子でお姫様や守られる側は女の子。青色は冷静なキャラクターで赤は熱血、女の子の下着はエッチなもの……等々、自分でも無意識のうちに様々な固定観念を創作作品から学んでいると思います。高校生活はドラマや漫画みたいな青春の日々を送れる! なんて夢見たことがある人はきっとそれなりの数でいらっしゃるのではないでしょうか?

 ※一応注釈をつけますが、女の子の下着はただの生活必需品で男の子の下着の役割と何ら変わりないので別に性的なものではありません。そもそも下着が性的なものではないので。
 
 それに人間は好奇心というものがあるので、善悪がどうであれ「自分が見たものを実際にやってみたい! フィクションと同じことをしたい! みたい!」 と思うこともおかしくはありません。当たり前の反応ですね。私もあります。
 一例を上げると「ジブリ飯」というものがあります。スタジオジブリが制作した作品の中のご飯を再現して作る、そして食べる。作ったご飯をジブリ飯、と呼んでいるわけですが、行為的には最後の食べるところまでを含めた言葉です。好きな作品に出てくるご飯を食べる! 良いですよね。素敵だと思います。
 もう一例上げると、忌むべき性犯罪も創作に影響されたものが多々あります。AVと同じことをしてみたい・抵抗してたのが大人しくなったから同意だと思った・嫌がってても最後には気持ちよくなれる……などなど。創作によって喚起される好奇心が良い方向に働くとは限らないことがこれでよくわかると思います。
 優れた創作作品や、多数の創作内で共有される描写は、現実に干渉しうるのです。

 誤解しないでほしいのですが「創作は犯罪者を作り出す」ということを言いたいのではありません。

【善悪の基準が判断できないこどもにいじめを肯定するような作品は読ませないほうがいいよね。いじめをしていいって思っちゃうかもしれない。差別を助長するような表現はそれが差別だってわからない人が読んだら無意識に新しい差別者を生んでしまうかもしれないね。じゃあレイティングやゾーニングをしっかりやろう。そうすれば誰も傷つかないね】

 といったことを伝えたいのです。同時に社会のあり方を見つめ直すことも大事ですし、性教育も進めていかないといけません。日本の性教育はとにかく性的なものを臭いものに蓋をするようにしか学ばせないので、お世辞にも進んでいるとは言えません。
 創作に込められたメッセージを読み解く読解力がないと、創作を本当の意味で楽しめないですし、創作者は現実の社会情勢や社会通念、心の機微を理解していないとリアリティのあるものを作り出せません。創作は非現実を味わうのが楽しみの一つですが、その非現実が現実を犯す危険性があることを理解しなければなりません。
 
 殺人や犯罪を描く創作がなぜ全年齢対象になり得るか、そして宇崎ちゃんやゆらぎ荘のような批判を受けないか。それは『殺人や犯罪が悪だと社会全体で理解』していて、どんなに世界観に没入出来る作品でも読後・視聴後に『フィクションである』と現実と虚構の区別がきっちりつくからです。今流行りのデスゲームものなんかもそうですね。してはいけないことと社会が断じていて、作者も読者もそれを理解しているからこそエンターテイメントとして楽しめるのであって、もし現実にデスゲームが頻繁に起こっている世界だったのであれば厳重に規制されていると思います。不謹慎とバッシングを喰らわずに1つのジャンルとして確立したのは、それを絶対に許さない、コンテンツ化しない社会が存在しているからです。そして、作中においてもデスゲームの主催者は悪として裁かれる様子が描かれたり、最後反省して改心するような描写があるために「あぁいい作品だった」で終わることができます。
 
 ※これも一応注釈をつけますが、過度に暴力描写があるものなど全年齢対象にならない作品もあります。どんなものでも例外があることは皆さんご存知だと思いますが、重箱の隅をつつかれないための補足です。

 ですが、性加害はそうはなりません。社会が悪だと断言してくれないからです。この一年で何回性犯罪者が不起訴処分になったでしょうか。被害者の声がなかったことにされ「被害を受けるのは魅力的な証拠」なんて的はずれなフォローや「自衛が足りてない/誘うようなことをしたのが悪い」なんて被害者を責めるような言葉でセカンドレイプする人間がどれほどいたでしょうか。「性的欲求は理性で抑えられないもの」なんて詭弁が何度まかり通ったことでしょうか。
 そんな社会で性加害と取られる描写を描けばどうなるかは既に様々な性犯罪が立証してくれています。大人がどんな行為が性加害に値し、性加害がどれだけ悪いことかを理解していないんですから、子どもはもっと理解できません。大人が理解出来ていないことを子どもが理解出来るはずがないのです。学校で教わる性教育が性行為や人体の仕組み程度である限り、もしかしたら「同意なく異性の身体に触れるのは失礼なこと」だと教えてくれる大人すらいないかもしれません。

 そんな状態でラッキースケベやらお風呂の覗きやらを「冗談」や「女の子には怒られるけどこれは男のロマン」なんてメッセージを込めた創作を見たら、そのまま素直にそう受け取ってしまいますよ。純粋な幼い子どもであればあるほど「そうなんだ!」で何の疑問もなく受け入れてしまうと思います。そうすることで女の子と仲良くなれる、と思ってしまう子もいるかもしれません。私は女ですが、性被害に合う前まではそういった描写を当たり前の冗談だと思っていました。とんでもないことですが「男の子ってしょうがないなぁ」くらいしか思わなかった時期があります。自体を矮小化している描写を見て、矮小化された状態がリアルな反応だと【誤解】してしまったのです。大事なことなので再度言いますが、私は誤解をしました。男の子にしかわからない楽しいことを女の子がわからないのは当然、呆れて見るくらいが自然な反応だと思っていました。周りの子もその程度の認識でいたと思います。それくらい、そういう反応をするのが「社会的に普通」という、冷静に考えてみれば、被害者側に立ってみればありえないことが、呼吸をするような自然さで浸透していましたし、おそらく今も進行形で浸透していると思います。

 このような性表現に寛容な創作、及びそれを生み出した社会が冒頭の乳袋を性的なものだと理解できない女性(男性)を育んでしまうのであろうと思います。社会が生んだ、本人は無自覚の加害者であり、被害者です。
 男性は無意識に女性を傷つけてしまい、そのせいで女性に嫌われるという被害があると思います。しかもそれは社会通念が生んだものであるがゆえに、自分の加害性に気付けずに同じことを何度も繰り返すことになり、嫌われる一方…… 本人の過失なのでフォローはしませんが、社会が違えば変わるんだろうな、と思うとなんとも言えない気持ちになります。
 女性はいつまでも女体を消費され続け、嫌でもそれを許容しなければいけません。被害者で居続けることを強要されていると言っても過言ではないのです。
 
 人間ですから、生まれ育った社会に価値観を左右されるのは当然のことです。ですが、もしその価値観に差別意識や加害性が内包されていることに気が付いたのであれば、それを正せるのも人間しかいません。

 フェミニストの方々が「ゾーニングを」と仰るのは性教育が十分になされていない未成年にこのような価値観を植え付けないためです。未来の加害者、被害者を生まないためです。それは子どもを守るための教育の一部でもあります。同時に、ゾーニングやレイティングをして対象者を絞ることで、自由な創作活動を守ることにもなります。法で規制される前にきちんと自治をしていれば、表現の自由は守られるのですから。ゾーニングは作品を規制しろ、削除しろと言う考えではありません。然るべき場所で然るべき人間が、自分も他人も不愉快な思いをしないように楽しむための配慮です。

 自由な表現が社会に害を及ぼすと司法が判断しないためにも、ゾーニングは大事だと思います。批判は否定ではありません。大事だからこそ、守りたいからこそ批判をしている場合だってあります。

 少年誌で性表現規制チキンレースをすること・献血ルームに性的誇張された女体が描かれたポスターが貼られること・町中にアダルトゲームの広告が貼られること。それらをそのままにすることが本当に「表現の自由を守ること」に繋がるか。私の考えが正しいとは思いませんし申しませんので、色んな方の考えを見て、聞いて、今一度考えて見て頂けたら幸いです。

 

気を付けていることと、社会への願い

 こんばんは。先日の記事が #性被害者のその後 のタグの作成主であらせられるminnette【@222Minette】様にご覧になって頂けたようで光栄な気持ちを隠せない筆者です。(フォローまでして頂いてしまいました……ありがとうございます。勝手ながら応援しております)

 唐突ですが、このブログやTwitterを運用するにあたり気を付けていることがあります。それは「女性の被害だけを考えないこと」です。男性の被害も同時に考えていくことを忘れないようにしていきたいと心がけております。
 ※ただ、それを正そうとまでは思っておりません。男性のことは男性が解決するのが筋だと思っております。手助けがほしいと望まれれば出来うる限りでお手伝いできれば、と思いますが「じゃあやって」と丸投げされた場合は対応しかねます。無関係の女性に丸投げできる程度に軽く簡単な問題なのだ、と判断するので。

 私の中には憎悪があります(私は先日の記事の事件の前から少しの男性嫌悪を抱えていて、事件後に強まりました)あのときの男性を許さない、ひいては性犯罪者を許さないという気持ちがあります。ですが、それを理由に不必要に男性を批判したくはありません。私は感情的になりやすく、そうなったが最後周りが見えなくなるという悪癖があります。そうなると、ただ私が嫌いだから、苦手だから、という理由で誰かを批判してしまう可能性が出てくることを自覚しております。

 確かに、昨今の性犯罪やフェミニストへの誹謗中傷、ただ意見を提示しただけでバッシングにあったアメコミファンの女性……その他多数(枚挙に暇がございません)を見ていると、私の中のミサンドリーが「男性って悪なのでは?」と囁きかけてきます。Twitterのアカウントを作ったこの数日感だけでも、あまりに酷い実態を幾つも幾つも見てしまいました。そしてそれが氷山の一角に過ぎないこともわかっているからこそ、己の男性を拒否したくなる気持ちを肯定したくなります。ですが、それは肯定してはいけない気持ちであり、誤解です。

 性犯罪者に迫害者、差別者に問題があるのであって「男性」という属性が悪いわけではありません。属性ではなく、差別意識を内包した社会通念が悪いことも多々あります。いかに男性に該当者が多かろうと「男性=悪ではない、むしろ一部の害のある人間のせいで迷惑している方もいらっしゃる」ということを常に念頭に置いておかないと、私はおそらく男性というだけで存在を否定してしまいます。つまり自分が差別者に成り下がることを意味します。

 それは『嫌』です。自分が嫌悪している存在と同じレベルまで、自分の身を貶しめたくありません。

 私はそんな私情で、己のミサンドリーを抑えております。誤解されたくないので先にお伝え致しますが、決して男性を擁護したいわけでも、忖度したいわけでもありません。ただ、色眼鏡で見たくないというだけです。事実として、性犯罪者やセカンドレイパー、フェミニストを加害する人間は何故か男性が多いです。否定する理由が見つからないくらいに多いです。故に、それらの該当者には厳しい目を向けていきたいと考えておりますが、無関係の男性にまで己の憎悪を向けないよう心がけていきたいのです。それが今世の中にありふれている「フェミニズムvs男性」のような誤った認識を解く手掛かりになるとも考えております。

 性被害者は、加害されたことを免罪符に加害者の属性を差別してはいけない。私はそれを忘れずにいたい。

 同時に、世の中の良識ある男性(女性)には、なぜ被害者が加害者属性を非難しがちなのかを一度考えてもらえたら、とも考えております。要は植え付けられた恐怖と警戒心なのです。この属性の人間に加害された→この属性は警戒しないといけない。そう考えるのは至極自然なことです。それが世間が被害者に訴えてきた自衛の意識でもあります。被害者が女性の場合、特にその自衛意識が問われます。「男はそういう生き物なんだから警戒しないほうが悪い」何度被害女性がそう不当な叱責を受けたことでしょう。どんなに自衛していても、暴力に訴えられたら加害者の悪意から身を守ることは不可能だというのに、です。
 「男は狼だから」「男の性欲は本能だから」「そんな格好でいるのが悪い」「誘うようなことしちゃったんじゃないの?」なんて被害後に言われ続けてみてください。たまったものじゃありません。性欲無罪? とんでもないです。本能であれば何でも許されると思っているのであれば、それは大きな間違いです。お腹が空いていれば目の前の人間を捌いて焼いて食べてよいのですか? 駄目でしょう? それと同じことがなぜ性犯罪なると通用しなくなるのか、今一度日本人は己の胸に問いかけてみるべきだと思います。

 それに先程上げた「男はそういう生き物」「性欲が本能」などといった発言。当たり前に広く世間に流布しておりますが、これ、酷い侮辱ですよ。是非男性に気付いてもらいたいのですが、これらが暗に意味するのは「男は性的欲望でしか物事を考えられない、愚かな生き物である」……悪意を込めた要約をするのであれば「男は馬鹿」ということですよね。それを公認したままで良いのでしょうか。私は駄目だと思います。これも立派な差別だと思います。男性という存在をあまりに軽んじているのではないかと思います。

 日本社会はミソジニーに塗れているとよく言われます。私もそう思います。そんな社会で過ごしていれば、気付かぬうちに差別意識を内包した人格に育つのは当然のことです。みんなみんな社会の被害者です。社会が人間に加害しているのです。そして、未来の加害者に仕立て上げてしまうのです。

 そんな社会を変えたいと思いませんか? 未来の子どもたちが差別のない社会でのびのびと育ってほしい、そう思いませんか?  倫理観のある優しい人間で溢れてほしいと、どんなものであれ犯罪はきちんと断罪される世の中であってほしいと、そう思いませんか?

 私は、日本が誰に対しても優しい国になってほしいし、皆さんにもそう思ってもらいたいです。だから、己の中の加害性を見つめて、抑えて、許せないものは許せないと今後も発言していきたいと考えております。
 

私の#MeToo

 初めまして。青藍と申します。

 これから下記に綴っていくのは、昨年私の身に起こった性被害に分類されるであろう出来事(~であろう、といった文体なのは未だに己の被害妄想の可能性を疑っているからです)と、それを経て考えた極めて私的な意見です。拙い文章かつ読んでいて楽しい内容ではないこと・その手の知識に明るくなく、不勉強であるために、感情論のようになってしまうであろうということ・筆者個人の考え以上の意味を持たないことを把握した上で、もし気が向いた方がいらっしゃいましたらお時間を頂ければ幸いです。


 まず、私は20代学生で標準体重の不細工です。実際の他人からの評価がどうであれ、いろいろな体験知見から己のことを小太りの老け顔ブスであると自認しています。少なくとも老け顔であることは高校生だった頃、登校時の電車の中で「え、あの人高校生? おばさんじゃん」とヒソヒソ声のつもりで揶揄してきた、おそらく年下の男子高校生が証人です。(バッチリ聞こえてましたからね、発言には気をつけたほうがいいですよ見知らぬ男子高校生……今は大学生かな……社会人かな……)(ですが高校生の頃は化粧もしていないすっぴんブスだったので確かに可愛らしさ若々しさはなかっただろうなぁとは自分でも思います)
 当記事はそれを大前提として話を進めていこうと思います。


 事が起こったのは昨年の丁度今頃です。肌寒い秋の夜で、アルバイトの帰り……確か22時半頃。白のヒートテックに黒ドットのパーカー、黒のズボン。防寒のためのニットカーディガンというオシャレを一切考えていない適当なファッションで、某大手コンビニエンスストアの鳥五目おにぎりを食べながらの帰路でのことです(お行儀が悪くてすみません)
 不意に横切った男性に『すみません』と声をかけられました。外を出歩くと2~3ヶ月に1度くらいのペースで老若男女問わず道を尋ねられたり、何処のどちら様かわからない見知らぬおじいさん(おじさん?)の話し相手に請われたりすることがあるので、今回もそのケースだろうと思い振り返りました。
 ちなみに見知らぬおじいさんたちは「自分の若い頃は~」「今はこうなんでしょう?」「これは〇〇だからお姉さんも気をつけないとね」「お仕事帰り? どこで働いてるの?」「お姉さん愛想がいいね!」などといった話をなさってくれます。くれます、という表記は皮肉です。全く嬉しくもありがたくもないので……
 この手のおじいさんと遭遇したら、延々相槌を入れ、話を合わせ、相手の気分が満足したあたりを見計らって「そろそろ帰らないといけないので~」と場から逃げます。三十分くらいずっと話を聞くことになる場合もあります。なんなら同じ人に話しかけられすぎて「見知らぬおじいさん」から「顔を覚えてしまったどこぞのおじいさん」にランクアップした人もいます。会話が始まる前に立ち去ればよいのですが、話しかけられると対応しなくては! と身構えてしまってタイミングを逃してしまうのです。そもそも、男女や年齢問わず、基本話しかけられたら応えます。何か困っているのかもしれませんし。困ったときはお互い様、助け合いの精神って大事ですよね。ただ善人でいようという下心や、相手が男性だとそれに追加して下手に機嫌を損ねてしまったら何をされてしまうかわからない、という単純な恐怖があることも否定はしません。

 話が逸れてしまいました。元に戻します。

 振り向いた先にいたのは恰幅の良い、私より少し背の高い30代~40代くらいの、何処にでもいそうな普通の男性でした。失礼を承知で申し上げるのですが、少し髪が薄い印象を受けた記憶があります。顔の造作や表情までは、夜の暗い道端にいたのでわかりませんでした。スーツを着用し、ビジネスバッグを片手に持っていたのでまず間違いなくサラリーマンだと思います。この時はまだ見知らぬ他人に向ける以上の警戒心はありませんでした。が、目があったときにかけられた言葉は『遊べる?』でした。遊べる。あそべるとは。
 一瞬思考が停止して、身体ごと硬直したあと現在地がどうなっているのか思い出した私は恐怖で顔が引きつりました。すぐ傍にラブホテルがあったのです。1分もあれば駐車場に辿り着けるくらい近くに。そこから簡単に考えつく最悪の結果に、私は内心必死になりながら「あ、遊べないです! すみません!」と謝って、刺激しないように笑顔のままゆっくり踵を返して、徐々に早歩きになってその場から逃げました。断る、というより謝罪の気持ちが強かったです。何に謝っているのかわからないけれど、とにかく「ごめんなさい」という気持ち。男性から距離を取ろうと足を進めるごとに自分が今何にあったのかを認識していって、どんどん呼吸がしづらくなりました。世間ではこういうのを「パパ活」とか「援助交際」とか言うのだと思います。前者は性行為なし、後者はあり、だとか話を聞きますが、近くにホテルがある以上後者に誘われたんだと思います。まぁどちらでも恐怖であることに変わりはないのですが……

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雑な地図です。このような位置関係でした。星印の位置が私が声をかけられた位置になります。

 男性が見えなくなった頃、とにかく信頼している誰かの存在を感じたくて、誰かと話していればもし追われていたとしても離れてくれるだろうと考えて、友人に助けを求めて通話をしました。過呼吸かつパニックに陥りながら「今、知らない人に話しかけられて……」と状況説明したことを覚えています。友人に話しているうちに「私が話しかけやすそうにしてたのかもしれない」だとか「狙いやすくしていたのが悪い」だとか、怖がっているはずなのに相手が悪い、ではなく自分に何か責があるように感じてきて、己の不甲斐なさまでのしかかってきて余計に辛さが増しました。その友人は全力で私を気遣い、男性が悪いと私の考えを否定してくれたのですが、優しい言葉をかけてくれればくれるほど何故か自責の念が強まるのが今でも不思議です。結局私が帰宅するまで通話に付き合ってくれた友人に、ありがたさと申し訳無さでいっぱいです。優しい友人を持てた私は幸せ者だと思います。ありがとう友人。

 ですが、お化粧を落とすために洗面台に立って鏡に写った自分を見たとき、限界になって堰をきったように涙がどんどん出てきました。自室に入ってようやく強張ったままの身体から力が抜けました。

 翌日は家族でさえも男性というだけで恐怖の対象になっていて、何の罪もない父親と祖父をひたすら避けてしまいました。気がつけばスーツの男性に恐怖を抱くようになっていました。更に追い打ちをかけてきたのが、新しく配属されたアルバイト先の社員さんが、かなりあのサラリーマンに近い背格好だったことです。記事を書いている現在は八割方恐怖を克服しているので大丈夫なのですが、当時は忘れようと努めているのに、シルエットが近いもの、同じような衣服がどうしても目についてしまい、あの瞬間がフラッシュバックして呼吸がうまくできなくなるということが多々あったので、社員さんに非はないため本当に申し訳なかったのですが、会うのが辛かったです。

 また、この体験の前にも似たような経験として、アルバイト帰りの夜道で男性に道を聞かれ答えたら「お礼にジュースを買ってあげるよ」と提案され、断っても「シュークリームをあげる」などと尚誘われる、ということがあります(勿論断りました。全力で逃げました)そのときは怖かったものの、その後の友人との近況話で「こういうことがあって~~、でも私シュークリームで買収されるほど安くないから!」と強がれるくらいの余裕は保てたのですが、このサラリーマン相手のときはそれとは比較にならないくらい恐怖が襲ってきて、本当に身体の震えが収まりませんでした。理由は【生まれて初めて私という個人に向けて剥き出しの性欲を向けられた(かもしれない)】からだと思います。
 シュークリームおじさん(と勝手にいま命名しました)は、親戚の仲の良いおじさんが「〇〇ちゃんお菓子あげようか」なニュアンスで、あまり性的な意志を感じさせなかった(かなりオブラートに包まれていた)のに対し、サラリーマンの男性は本当に直接的に性的欲求をこちらにぶつけてきた。そんな印象です。

 もともと性的な話題が苦手だったり、ネットに自由に触れる機会が人より遅かったため(私は高校生のときにスマートフォンを買い与えてもらったことでようやく授業以外でのネット使用の機会を得ました。ネットに触れると意識せずにR指定な知識がついていくの恐ろしいですね)単純に私自身の性教育が遅れていたり、見目が良くないため誰かと恋愛関係になることも、誰かからそういう対象に見られることもないと勝手に思っていたりした私にとって、サラリーマンの男性の一言はいきなり住む世界が変わってしまったのかのような衝撃でした。私はいわゆるオタクなので、フィクションの中の恋愛はたくさん見てきましたが、創作の中で好きなキャラクターが別のキャラクターに向けているような恋愛感情、あるいは劣情を誰かから自分に向けられることはないと思っていたのです。友人からの恋愛相談や惚気も他人事のように感じていました。
 正直今でも「実はただの自意識過剰なんじゃないか?」と思います。だって私は不細工だから。性的な魅力はないと思っていたから。狙われるほどの魅力があるわけ無いから。
 でも性行為をしたかったのかそうでないのかは判別がつかないものの、確実に「女」に見られていたのは確かです。だって男性に向けて夜に「遊べる?」なんて話しかける男性、多分そんなにはいないと思います。
 男女関係なく、犯罪者は自分より弱い存在を選んで加害します。ただ、どうしても身体的な理由により被害者は女性や子供に偏ることを、世に生きる女性及び未成年の皆様は肝に銘じたほうがいいです。尚私は銘じていませんでした。

 ここまで書いてきておわかりだと思うのですが、私は「声をかけられた」だけです。数秒でも手が触れたりするようなことはありませんでした。ですが「声をかけられた」それだけでも一生モノのトラウマです。勿論、実際に犯罪者の手にかかってしまった方も世の中にはいて、その人たちの苦痛の半分もきっと私は知りません。でも、それでも辛いものは辛く、苦しいものは苦しいのです。悲劇のヒロインのようなことは自分に酔っているようであまり言いたくはないのですが、事実として私は被害のあと実生活に支障をきたすくらい苦しみました。
 「なんだ、なにもされてないじゃないか」その通りです。身体的には何もされていません。そういう意味で私は無事です。ですが、これだけのことでも精神に深くダメージを与えられるということを、知って頂きたいのです。鬱病で知られるとおり、心の病も体を侵す病と同じくらいに深刻なものです。
 軽い気持ちで性的なジョークを言う方、世の中に沢山いらっしゃると思います。それが実はスキンシップやコミュニケーションではなく、ただ会話相手を酷く貶め、傷つけている可能性を、一度考えてみて頂ければなと思います。性的な発言は、簡単に誰かの尊厳を踏みにじれるのです。(なんだか上から目線な文章になってしまっていて申し訳ないのですがこれ以外の書き方が思い浮かびませんでした……)

 被害に遭ったあと、私はTwitterフェミニズムに出会いました。私と同じく、傷ついた女性が沢山いて、傷ついた女性を増やさないために身を粉にして世間に言葉を投げかけていました。勿論、今も彼女たちは懸命に世の中に女性の権利を訴えてくださっています。
 今までフェミニズムというのはなんとなく紳士が女性に向ける気遣いや優しさ、のようなものに勘違いしていたのですが、違いました。ただ女性は一人の人間であり、男性と同じだけの権利を持っていること、不当に脅かされてはいけないという、本来ならば当たり前のことを「当たり前になっていない」と気付いて、世の中に伝えてくれる。私にはフェミニズムがそんな存在に見えました。もともとある権利(男性の権利や表現の自由など)を脅かすのではなく、現代社会に置いて女性が被っている理不尽(#KuTooなどがそれに当たると思います)を正し、社会に置いて軽く扱われている性犯罪の深刻さを訴えていくのがフェミニストなのではないでしょうか。冒頭で言いましたが、私はフェミニズムに関して何か勉強したわけではないので、本当に見て知った印象での話しか話すことができないのが心苦しいのですが、私はフェミニストは女性の味方だと感じました。そして女性だけでなく、社会通念に苦しんでいる人の味方だと。
 例えば「女性は家事が得意」「男なんだから泣くな」「女の友情は陰湿」「男性には頼りがいがないといけない」といった考えは全て偏見で、正すことが出来ます。女性だって家事が苦手な人は居るし、男性だって泣きたいときは泣いていいし、友情に男女差はないし、頼りがいのあるなしは個々人の問題です。性別によって〇〇じゃないといけない、とされるものは全て「そんなことない」と言えるのです。「え~またまたぁ」などと茶化されることもありますが、実際そうなのです。そんな問題を解決していくのがフェミニズムではないかと思いました。

 ※ただ、フェミニズムは『女性』の性差別を問題視する運動です。たまに「男だとこれがしんどいんだよ~」とフェミニストの方にぼやく方がいらっしゃいますが、そちらは「マスキュリズム」という男性差別を考える運動があるそうですよ。男性のしんどいはマスキュリストの方に相談するほうがより解決に近づけると思います。男性も女性も生きやすい世の中にしたいですね。

 そして己の意識の低さにより見えていなかった、数々の女性の人権問題を彼女たちのおかげで知ることができました。考えてみればおかしいと気付けるはずのことも、社会がそれを普通だと看做していれば普通になるということを知りました。そして多すぎるほどの性被害を知りました。無知は罪、といいますが、その通りだと思います。知らなかったでは済まされないくらいの人間が、今まで傷ついてきたことを私は気にも止めていなかったのです。己を恥ずかしく思います。

 フェミニズムに触れた今でこそ思うのですが、あのときの私はサラリーマンの男性にあんなダサファッションでも女というだけ性的に見られて、提案を持ちかけて応じるかもしれないと安く見積もられて、とにかく人間としてではなく性欲解消の道具として見下されていたのではないかと思います。
 日本に居る全ての女性が、一部の倫理観のない男性にそんなふうに見られているのでは、と考えてしまいます。美醜関係ないです。私が狙われたので……という私的な意見よりは「ブスの方が『こんなブス誰が狙うかよ』と言い逃げできる」といったような発言をしたらしい痴漢犯罪者がいる、という情報のほうが信憑性があると思うのでこの言葉をどうか頭の片隅においておいてほしいです。どんな外見、年齢でも女性であればこの手の危険はつきまとうのです。美しくても醜くても、若くても老いていても、女性であれば危険な目に会う可能性はあります。自分は関係ないと、どうか思わないでください。私はそう思っていたせいで、必要以上に傷つくことになりました。自分とは無関係であると思えば思うほど、いざ経験したときの自責の念は強まるのではないかと、私は考えています。防犯意識が高くて困ることはありません。女性の油断を性犯罪者は待っていますし、喜びます。(男性も被害に合う可能性はあるので「俺(僕)は男だから大丈夫」と慢心するのは大変危険だと思います)

 この手の思考に囚われた人間は性欲や支配欲、加害欲を満たすことができる、抵抗しないであろう存在としかこちらを見ていないのだと思います。暴論ですが、信頼関係を築いていない異性に性行為を求める、もしくはそれに付随する感情を向けるのは「相手を都合のいいスケープゴート」にしか見ていない証拠ではないでしょうか。あるいは欲求不満を解消してくれる道具かもしれません。とにかく一人の人間として、人権がある尊重されるべき存在としてみていないのは確かです。

 女性は一人の人間です。性の象徴でもなければ、コンテンツでもなく、毎日を彩ったり生活を楽にしたりする道具でもありません。ただ懸命に日々を生きている人間です。男性はそれをどうか忘れないでください。忘れた男性を見かけたら、どうか「女性も人間だぞ」と怒ってあげてください。女性側も性犯罪や女性蔑視を許さない姿勢を保ち、自衛をしていきますがそれでは己を守りきれない「悪意」があります。それを男女ともに許さない世界になるといいなと思います。全ての良識ある男女が健康的で文化的な、当たり前の生活を送れるようになることを心から願っています。

 拙く、読みづらい文で長々と失礼いたしました。ここまで読んでくださった方々に、深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。